〈「そう、これでなにもかもが終わりました。鍵はここに置いておきます。家事のことは女中がよく心得ていますわ――わたしよりずっとよく。明日、わたしが発ったあとでクリスティーネさんが来て、わたしが家から持ってきたものを荷造りしてくれると思います。あとから送るようにお頼みしておきますわ」
「終わりか?! 終わりか?! ねえ、おまえはもう私のことを思い出してはくれないのかい?」
「ときどきはあなたのことや子供たちのこと、この家のことを思い出すでしょうね」〉
ノルウェーを代表する劇作家ヘンリク・イプセンの『人形の家』は、近代劇の出発点となった、記念碑的作品である。『人形の家』のヒロイン・ノラは、19世紀後半になって盛んに論議された「女性解放」の影響を受けて生まれ、物語の最後で、夫も子供たちもかなぐり捨てて家を飛び出していく。父親から「人形っ子」と呼ばれて育ち、夫のヘルメルからは「人形妻」として愛されてきた自分に、我慢できなくなったからだ。ノラとヘルメルが作り上げてきた家庭は、一見幸福そうに見えながら、実はノラをノラとして見ず、ただ男にかわいがられるだけの人形のままにしておいた、「人形の家」だったのである。
ノラは家庭を捨て去り、妻たる者のいっさいの義務から解き放たれたことを示すべく、家の鍵を置いて出て行く。鍵とはすなわち、家庭の象徴である。ノラは家庭=家という支配的なシステムから脱出することによって、自分自身を確立し、奪われていた人間性を回復したいと願ったのだ。ラストシーンにさりげなく出てくる鍵と、ノラが出て行ったあとに響く錠の音は、ただの小道具や効果音ではない。今回は、鍵を手放して出て行くというラストシーンに込められたノラの想いと、鍵が象徴してきた意味について見ていきたい。
鍵の持つ意味は大きく分けてふたつある。ひとつは富と権力の象徴、もうひとつは家庭における主婦の座の象徴である。古くからヨーロッパでは、鍵は扉を開閉するための実用的な器具としてだけでなく、例えば敗戦時の城の明け渡しの儀式には鍵を用いるなど、力の象徴として扱われてきた。新約聖書のマタイ伝には、キリストが聖ペテロに「われ天国の鍵を汝に与えん」と述べて、金と銀の十字架型の鍵を与えたと記されている。これにより聖ペテロは天国の門の番人とされ、キリストから与えられた鍵は、ペテロの後継者であるローマ教皇に伝えられている。
家庭における主婦の座の象徴としては、家事の主催者である主婦が、その家の家財や戸棚の鍵を管理していたことからもわかる。ヨーロッパでは伝統的に、新婦にその家の鍵が与えられ、離婚の際には鍵の返還要求がなされてきた。だからこそ、ノラは鍵を置いて――主婦の立場を返上して出て行くのである。
〈「私のかわいいヒバリさん、だが、なんて金がかかるんだろう。信じられないくらいだ」
「あら、そんなこと! わたしだってできるだけ倹約してるんだわ」
「その通り、できるだけ、ね。ところがそれができないのだからな」
「ふふん。わたしのことをヒバリだとかリスだとかおっしゃるけどね、そのお金をわたしがなにに使っているか!」
「でも、まあ、いまのままで良いのだよ。私のかわいい歌うたいの小鳥さん」〉
この戯曲は3幕構成で、場はいずれもノラの家の居間になっている。ノラの家の様子をト書きから拾ってみると、彼女たちの暮らしが中流にあることがわかる。気持ちよく趣味豊かだが、決して贅沢ではない居間には、床いっぱいに絨毯が敷いてあり、ピアノやソファー、テーブルが置いてある。暖炉には赤々と火が燃え、飾り棚には陶器やその他の工芸品が、本棚には豪華版の本がそれぞれ詰まっている。そして居間に取り付けられた3つのドアとひとつの窓から、外の様子やヘルメルの書斎の様子、階上の家など、舞台の奥に広がる空間が伝わるように設定されているのだ。
時間は第1幕がクリスマス・イブの昼下がりで、第2幕は翌日の夕方、第3幕はその夜更けである。このたった1日半のあいだに、ノラに劇的な変化が起こる。第1幕は引用にあるような、明るく愛らしい「かわいい妻」だが、これが第2幕になると、思い悩んだ末に早まったことをしそうな「浅はかな女」になり、第3幕では一転して「自立した女」になる。
第1幕の「かわいい妻」なノラは、弁護士から銀行の頭取に出世した夫のヘルメルから、ヒバリだのリスだのと呼ばれてかわいがられている。もちろんノラ自身も、かわいがられる妻であろうと、明るくノーテンキに振る舞っているのだ。だがノラには重大な秘密があった。夫が病に冒されたときに、借用証書に偽りの署名をして、内緒で大きな借金をしていたのである。
金を貸してくれたのはヘルメルが嫌っているクロークスタという男で、クロークスタはヘルメルから解雇通知を受け取ると、秘密の暴露と引き換えに、ノラに復職を助けてくれるように働きかける。ここが第2幕だ。第3幕でクロークスタの改心によりスキャンダル自体はなんとか回避されるものの、ノラは夫がどういう目で自分を見ていたかを知り、その場で結婚生活を捨て去る決心を固めてしまう。ヘルメルが示す妥協案には一切耳を貸さず、鞄ひとつを持って、家を飛び出していくのだ。『人形の家』が発表されたのは、1879年の12月。女は家事をして家を守り、子どもを育てるという従来の女性像が破壊された、衝撃的な瞬間である。
〈「結婚してから8年になりますわね。お気づきになりませんの、わたしたちが――あなたとわたしとが、夫と妻とが――向かい合って真面目に話をするのは、今日が初めてだっていうことに」
「まじめな話。それはどういう意味だい?」
「丸8年のあいだ――いえ、もっと長いあいだですわ。わたしたちが知り合った日から、わたしたちは一度も真面目に話し合ったことはございません」
「しょっちゅうおまえに、面倒なことを打ち明けてきたら良かったと言うのかい、おまえにはどうしようもないことでも?」
「面倒なことについてどうこう言っているのではありません。ただ、どんなことでも、深く突っ込んで真面目に話し合ったことが一度もなかったと申し上げているんですわ……パパはわたしのことを人形っ子と呼んでいましたわ、ちょうどわたしが人形と遊ぶようにね。そしてわたしは、ここではあなたの人形妻だったのです。ちょうど実家ではパパの人形っ子だったように。そして子供たちは、今度はわたしの人形でした」〉
ノラはこれまでの自分が夫の「人形」にすぎなかったことに気づき、妻や母親としての義務よりも、「自分に対する義務(教育)」を優先させて家を出る。ノラの行動は、発作的で幼さが勝っているようにも見えるが、この時代、一度結婚した女が家族と別れて自分の生活をはじめることは、古い道徳や世間に対する大いなる革命だったのである。
夫と別れたノラは、スタート地点に戻るという意味を込めて、実家へ戻る。その後、どういった生活をしてどのような革命を成し遂げたのかはわからない。だが彼女は革命の必要性を悟るだけの賢さと、それを実行する勇気を持った女性だった。彼女がまた「家庭の鍵」を手にする日が来るとしたら、それはノラの最後のセリフにある通り、2人の共同生活が本当の結婚生活になったときだろう。
|