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芦屋に生きる四人姉妹 『細雪』

 谷崎潤一郎の代表作である『細雪』は、関西の旧家・蒔岡家の四姉妹(鶴子・幸子・雪子・妙子)をめぐる人間模様を描いた、典雅な長編小説である。時は昭和10年代、舞台は兵庫の芦屋。蒔岡家は大阪の船場で旧幕時代からの由緒を誇る商家だったが、四姉妹の父親が放縦な経営をしたために家運が衰え、いまは斜陽族と成り果てている一族だ。それでも「こいさん、頼むわ――」というおっとりと優美な船場言葉から物語の幕が上がるように、芦屋の美しく個性的な四姉妹は、風雲急を告げる国情などまるで別の国の出来事でもあるかのように構え、四季折々の風物を愛でてゆったりと生きている。
 この作品は何度か映画化されているが、名匠・市川崑監督のバージョンはキャスティング(岸恵子・佐久間良子・吉永小百合・古手川祐子)もぴったりで、強く印象に残っている。私は映画を観てから原作を読んだのだが、作品全体に漂う関西特有の華やかさや上品さには、憧れを抱かずにはいられなかった。特に三女・雪子の婚礼用にあつらえた着物をざあっと広げて風に当てているシーンなど、着物には縁がない私でも「すごいなぁ」と思ってしまったほどである。

〈「雪子ちゃん、下でなにしてる」
「悦子ちゃんのピアノ見たげているらしい」
 ――なるほど、階下で練習曲の音がしているのは、雪子が先に身支度をしてしまったところで悦子につかまって、稽古を見てやっているのであろう。
「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、またひとつあるねんで」
「そう――――」
「先方はえらい乗り気やねん」
「きあんちゃんの写真、行ってたのん」〉

 『細雪』は、三女・雪子の見合い話を軸に話が進んでいく。「きあんちゃん」というのは雪子のことで、四女の妙子がすぐ上の姉・雪子を呼ぶときに使っている呼称だ。次女の幸子のことは「中姉ちゃん」(なかあんちゃん)と呼び、妙子自身は周囲から「こいさん」と呼ばれている。こいさんは「小娘さん」(こいとさん)の略で、大阪ではその家の末娘を指す。
 さてこの「きあんちゃん」こと雪子は、周囲からはまだ「娘さん」(とうさん)と呼ばれ、見た目もずいぶん若々しいものの、すでに30歳を過ぎていた。昭和10年代の30過ぎと言えば、とうに婚期を逃してしまったと言っても過言ではない。本人も姉妹たちもかつて古い暖簾を誇っていた家柄の出身であるだけに、良縁があってもなかなかまとめられないまま、ここまでズルズルと来てしまったのだ。

 この会話は、分家(次女・幸子の家)の二階にある八畳間で行われている。幸子・貞之助夫婦の寝室で、東に一間、南に一間半の窓があり、欄干がついている。家中で一番明るく広い部屋で、女たちのいわば楽屋のような場所だった。のちでもふれるが、幸子たちは就寝以外にはあまり二階を使わず、普段の生活には一階を多用していた。いわば一階が生活のための場で、二階は装ったり舞の稽古をしたりする、趣味の場だったのである。
 「芦屋の分家」と呼ばれる幸子の家は、作者・谷崎潤一郎が住んでいた「倚松庵」がモデルになっている。一般公開もされているこの住居は、谷崎が関西で最も長い7年間を過ごした場所だった。ここで谷崎は妻・松子の妹である重子と信子を引き取り、娘の恵美子と合わせて、女4人に囲まれた生活を送った。『細雪』は、そのときに観察した姉妹の日常から生まれたと言われている。

〈たとえば芦屋の家にも、雪子と妙子が共同で使う部屋をひとつ当てがってあったが、妙子がそこを始終仕事場に利用するようになった機会に、幸子のはからいで雪子と悦子を同居させることに定めた。悦子の部屋というのは二階の六畳の日本間で、畳の上に背の低い小児用の木製の寝台が置いてあり、今までは女中が付き添って寝ていたのであるが、それからは女中の代わりに、雪子が折りたたみ式になった寝台用の藁布団の上にパンヤの敷布団を二枚重ね、悦子の寝台とほぼ同じ高さに寝床を敷かせて寝るようにした。〉

 これは幸子の娘・悦子と、三女・雪子の共同部屋である。雪子と妙子は長女・鶴子が守る上本町の本家に籍を置きながらも、母親代わりの長姉にあれこれと言われるのが嫌で、月の半分以上を分家で過ごしていた。最初は二階の西奥の四畳半が雪子と妙子の部屋だったのだが、引用部分にあるような理由から、雪子は二階中央にある六畳間で、姪の悦子の面倒を見ながら暮らしている。両隣にある幸子、妙子の部屋とは、ふすまや開き扉で通じている部屋だった。
 幸子が就寝時くらいにしか二階の八畳間を使わないように、娘の悦子もまた、あまり自室には寄りつかない。それは普段、二階に人気がないからで、彼女の部屋には和室ながらも西洋家具一式がちゃんと揃えてあった。

〈いったいこの家は大部分が日本間で、洋間というのは、食堂と応接間と二間続きになった部屋があるだけであったが、家族は自分たちが団欒をするのにも、来客に接するのにも洋間を使い、一日の大部分をそこで過ごすようにしていた。それに応接間の方には、ピアノやラジオや蓄音機があり、冬には暖炉に薪を燃やすようにしてあったので、寒い時分になると一層皆がそちらにばかり集まってしまい、自然そこが一番にぎやかであるところから、悦子も、階下に来客が立て込む時とか、病気で寝る時とかの外は、夜でなければ滅多に二階の時分の部屋へは上がって行かないで、洋間で暮らした。〉

 分家の面々が生活の場としてよく使っていたのは、一階の東南にある洋間である。広さは十畳で、北側のドアの左側にマントルピースが据えてある。夜の十時すぎには、幸子夫婦と雪子、妙子の四人でワインを楽しんだりもしている場所だ。また隣にある食堂に続く三枚の引き戸を取り払い、妙子を中心とした山村舞のおさらい会を催したりもしている。板敷きの洋間に、マントルピースとステンドグラス。調度として置かれているピアノやラジオや蓄音機は、昭和の上流階級のステータス・シンボルである。一階の応接間は芦屋の蒔岡家のいわば心臓部であり、『細雪』の大切な表舞台でもあった。

 さて『細雪』は三女・雪子の見合い話を軸にしているものの、それと呼応するように、四女・妙子の恋愛遍歴も記されている。三女の雪子が内面はかなり頑固で我がままながらも、滅多なことはでは感情をあらわにしない大人しい女性である一方で、四女の妙子は新聞沙汰になるような駈落ちをしてみたり、手に職を持とうと奮戦するなどの、独立型のモダン・ガールだった。妙子は縁談を断りつづける雪子とはまた別の意味で、周囲を騒動に巻き込んでいく厄介な存在だったのである。
 本家の長姉夫婦からは不良娘だと思われ、最後には一介のバーテンダーとのあいだにできた子供を流産してしまう妙子。紆余曲折はあっても最後には子爵家に嫁いでいく雪子とは、正反対の残酷とも言える結末だ。
 だがそうは言っても、蒔岡家の四姉妹はやはり四人ともにさしたる苦労を知らない、典型的なお嬢さんである。お嬢さん育ちゆえの鷹揚さや子供っぽさが時たま鼻につくこともあるが、それでも『細雪』の世界をごく特殊な貴族の世界だと言って切り捨ててしまうのは、少々乱暴すぎるように思われる。あまりの優雅さに、執筆当時は「時局をわきまえぬ」と軍部からの弾圧を受けたこの作品のなかには、『源氏物語』の時代から脈々と息づく、日本人の美への憧憬が封じ込められているのだ。だからこそ、今も私たちの心に、深くしみこんでくるのではないだろうか。


文 倉林 章

参考文献
細雪(上)(中)(下) 谷崎潤一郎 ほるぷ出版
作品で綴る近代文学史 畑有三 双文社出版