〈おともだちのなかに、サンタ・クロースなんかいないっていう子がいるのです。
パパはこう言いました。「『ザ・サン』に書いてあればそうだろう」って。どうぞ本当のことを教えてください。サンタさんはいるのですか?〉
1897年、ニューヨークの新聞『ザ・サン』紙は、こんな質問の手紙を受けた。
サンタは本当にいるのだろうか?
これは幼い頃、だれもが胸に抱いたクエスチョンのひとつだろう。なぜならサンタ・クロースほど、ナゾの多い人物はいないからである。
世界有数の知名度を誇りながら、彼の実態は21世紀を迎えた今日になっても、いまだに明らかにされていない。いったいこの老人は、どんなところに住み、どんなふうに暮らしているのだろう。いや、そもそも実在するのだろうか。
この疑問に果敢に挑戦したのは、新聞記者や童話作家たちである。今回は人気絵本作家レイモンド・ブリッグズの『さむがりやのサンタ』を中心に、サンタの家にお邪魔してみたい。
〈サンタ・クロースを信じないって! パパに頼んで人を雇い、クリスマス・イブにサンタ・クロースをつかまえるために、煙突という煙突を見張ってもいいのですよ。でもサンタが降りてくるのが見えないからって、それがなんの証拠になるでしょう。だれもサンタを見た人はいませんが、だからといって、サンタがいないということにはならないのです。〉
これは冒頭の質問に対する、回答文の抜粋である。
夢見る子供からの質問を、『ザ・サン』紙は決して無下にはしなかった。回答を命じられたのはフランシス・P・チャーチという、ベテラン記者である。彼の真摯な回答は世界的に有名になり、出版化され、サンタ実在説を強力に支える柱となった。
図に示した『さむがりやのサンタ』は、原題を『FATHER CHRISTMAS』という。ファーザー・クリスマスは、サンタ・クロースのイギリス名で、もともとサンタとは別のものだったが、現在では同一視されている。こうした統合の例は珍しいものではなく、ヨーロッパ各地で見られる。そう、サンタの業界も、吸収や合併と無縁ではいられないのだ。
これは私の憶測だが、この世には「世界サンタ・クロース連盟」とでも言うべきものがあるのではないだろうか。総本山(本部)は、フィンランドはラップランド地方のサンタランド(ヨウルマー)と、スウェーデンのダーラナ地方にあるサンタランド(トムテランド)だ。どちらもトナカイを有するため、おそらく一歩も譲るまい。
この2つがキリスト教の伝播とともに、ブランド名を高めシェアを拡大して、クリスマス・イブにおけるサンタの活動を統括・管理するようになったのだと思われる。
そして加盟各国は、同連盟から委任状を受けた適任者(ファーザー・クリスマスのように近い仕事をしていた者など)を自国のサンタとして承認し、国を挙げて応援しているのだ(もちろん日本にもいるはず)。
さてイギリスのサンタは、認定サンタのなかでは珍しい独身者である。どこの国のサンタも、たいてい優しい奥さんとトナカイ、国によってはおもちゃ職人の小人たちに囲まれて暮らしているのだが、彼はちがう。犬・猫・鶏、そして2頭のトナカイを相手に、やたらとひとりごとの多い、わびしい一人暮らしをかこっているのだ。妻がいた気配はない。クリスマスにプレゼントやカードを送ってくれる親族はいるが、酒好きで偏屈で仕事嫌い(!)なため、嫁の来手がなかったのだろう。しかもこのサンタ、騒がれるのが苦手なのか、子供もそんなに好きではないのである。
彼の屋敷は、菜園と温室と鶏小屋のついた一戸建てである。2階は寝室と浴室、1階部分は母屋とトナカイ小屋、倉庫などをすべてひとつなぎにしているため、かなりの横長になっている。絵本には表側からの描写はなく、裏の菜園に面してズラリとドアが並んでいる様子だけが描かれている。左から母屋の勝手口、トイレ(水洗。出入り口は外のみ)、トナカイ小屋、そり用の車庫、一番右の頑丈な錠前のついたドアが工房の入口になっている。
母屋を順に見ていこう。
となりに小さな出窓のある勝手口を入ると、そのまま台所に入る。台所の流しは洗顔・炊事兼用で、お徳用サイズの紅茶缶の横に歯みがきセット(&入れ歯洗浄剤)が並んでいる。炊事の際には流しにふたをして、食材や無聊をなぐさめるためのラジオを置いたりしているようだ。この流しの上にある出窓が、外から見た際に、勝手口のすぐ横に取り付けられていた出窓である。
台所の奥には大きな窓のある明るい食堂があり、サンタはいつも台所のほうを向いてテーブルにつく。うしろが食器棚、右手が石炭ストーブだ。廊下を挟んで居間があり、ここには暖炉・ソファー・テレビ・本棚が備えつけてある。ドアの数を見るともう1〜2部屋ありそうだが、メインで使っているのはこれくらいなのだろう。また、サンタはあまり正面玄関を使用しない。尋ねる人はいなくても手紙だけはどっさり届くので、正面玄関がまるごと郵便受け代わりになっているらしい。
一通り見てまわるとわかるように、サンタの家は、どの部屋もきちっと片付いている。だがこんなところが、逆に一人暮らしの長を物語っているようだ。なにせ使った食器はすぐに洗って戸棚にしまうほど、こまめな男なのである。これなら女手がなくても、家事も庭仕事もそつなくこなせるだろうが、年に一度の大仕事を終えて凍えて帰ってきても、まずはストーブの準備からはじめなければならないのが、ちょっと辛い。さすがにこんなときは、偏屈な彼でも、少々わびしさを感じたりするのではないだろうか。
『さむがりやのサンタ』では子供たちへのプレゼントを作る姿は描かれていないが、おそらく小人は雇わず、ぶつくさ言いながら自作しているものと思われる。夏には仕事用のソリをキャンピングカーに改造してしまうのだから、やはりサンタというひとは、相当器用なのだ。ちなみに彼は、総本山のサンタたちとはちがって、良い子・悪い子の選別をしない。どんな悪ガキだって、ひとつくらいは褒められていいことをしているだろうよ――そう考えて、選別をしないのだろう。もっとも偏屈な彼のことである、尋ねてみても「面倒くさいからだ」のひとことですまされてしまうだろうが。
プレゼントは、もらう以上に贈るのが楽しい。「クリスマスにはプレゼントを贈る」という習慣が、宗教の隙間を縫って各国に浸透していったのは、もらう喜び・与える喜びに素直にひたることができるからだろう。
クリスマス(キリスト降誕祭)は、ヨーロッパ各地の土着宗教による冬至祭が、キリスト教の伝播に従って統合されて成立した、真冬の祭りである。贈り物の習慣はキリスト教以前のローマ時代からあり、そこでは幸運のしるしに常緑樹の小枝を贈り合ったという。
クリスマスの植物・ヒイラギも、常緑樹である。一年を通して緑の葉を茂らせ、真冬に赤い実(キリストの血のイメージ)を結ぶヒイラギは、ヨーロッパでは希望と再生のシンボルだった。こうしたシンボルを飾って厄を払い、家族全員が宴席に集って1年間の無事を神に感謝し、贈り物を交換する――日本の正月と、意味合いは変わらない。クリスマスも正月も、長い冬に閉ざされる北半球においては、次の春までの生きる希望を養う、大切な行事なのである。
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