名作時代小説は多々あれど、私が一番好きなのは藤沢周平の『用心棒日月抄』である。NHKのTVドラマ(タイトルは「腕に覚えあり」)から入ったクチなのだが、とにかく主人公・青江又八郎を演じる村上弘明が、とてもカッコ良かったのだ。父が時代小説ファンだったので、その日のうちに父の本棚から借り出して読んだら、原作もやはり大当たり。市井に混じって暮らすワケあり浪人は、もしかしたら国許で役職についていたときよりも、輝いていたかもしれない。
『用心棒日月抄』のミソは、背景に赤穂浪士の仇討ちをにじませているところにある。すると時代は元禄の後半、生類あわれみの令を出した、5代将軍徳川綱吉の施政の頃だ。
わけあって国許から出奔してきた又八郎は、知り合いもない江戸で、1人ぼろ長屋に寝起きしていた。さかやき(額から頭の中央にかけて剃っている部分)は伸び放題、衣服も少し垢じみて、慣れない浪人暮らしにいくらか面やつれしている26歳。それでも、道を行けば女の子がちらちらと振り返るような好男子である。無論、長屋のおばちゃん受けもすこぶる良い。
「おかみ、飯は残っておらんか」
「冷たいのでよかったらあるよ」
「それを喰わしてもらえんかな。米はあとで返す」
「いいよ、そんな気を遣わなくとも。そのかわり、漬けものとおつけぐらいしかないね」
貧乏暮らしはお互いさまと、漬けものを分けてもらったり、旅行の土産物がまわってきたり、朝食の残りを食べさせてもらったり。又八郎の住む長屋は柱も傾いているようなおんぼろだったが、そこに住む人々は、日々の暮らしに追われながらも温かい人情に満ち溢れていた。その様子を、又八郎はこんな風に眺めている。
〈裏店の女房たちは、内職をし、亭主と一緒に日雇いに出かけ、井戸端談義に身が入ったあげく女同士で掴み合いの喧嘩をし、甲斐性のない亭主の尻を叩き、言うことをきかない子は殴りつけ、精気に溢れているが肌の手入れまでは手が回らない。〉
「裏店」(うらだな。裏長屋)は、低所得層の庶民が住むアパートのような建物だった。商店などの入った塗り屋造りの表店(おもてだな。屋根は桟瓦で、壁や軒裏を厚い土で塗って漆喰仕上げにしてある)の裏手に作られた、粗末な建物である。
表の大通りから木戸を抜けて狭い路地を入っていくと、表店の土蔵と一緒に、図のような1棟を数戸に区切ったもの(これが背中合わせになったものを棟割長屋という)が並んでいた。火災や地震に遭ってもすぐ再建できるように、屋根は板葺き、壁は下見板の、簡単な焼き屋造りである。
なかには広めの敷地をとった平屋や低い二階建てのものもあったが、多くはひと間だった。俗に9尺2間(間口約273cm、奥行約364cm)と称する、3坪の広さに4畳半の部屋と土間・台所のついた小さな借間である。鋳物修理屋などは、この土間を仕事場にしていたようだ。こうした長屋とは別に、木戸の入口か奥には、家主から長屋の差配をまかされた大家の一戸建てがあった。
長屋に付属する施設は、すべて共同利用である。井戸・トイレ・ゴミ捨て場などがそれで、下水は路地の中央に溝を切って、そこに流していた。洗濯物は路地いっぱいに広げて干し、風呂はない。全員が近くの湯屋か、男なら髪結床(銭湯兼集会所)を利用していた。ライフラインのおおもとになる井戸は、洗顔や洗濯、行水、食事の支度にと、大活躍した。もちろん、「井戸端会議」という主婦たちの大事な社交場でもある。又八郎が長屋の連中と顔を合わせるのも、たいがいはここであった。
〈又八郎が顔を洗いに井戸端に行くと、ちょうど米をとぎおわって帰るおさきに会った。〉
ここに出てくるおさきは夜鷹(無認可の風俗嬢)だが、井戸端に居座っているのは、大抵は長屋の主婦たちである。例として、又八郎が友人の細谷源太夫の家を訪ねるくだりを引いてみよう。細谷も又八郎と同じく、頼れるものは己の腕のみ、という素浪人だった。ただ又八郎よりもあわれを誘うのは、同じ手間賃で働きながら、妻と6人の子供たちを養っていかなければならないところだろう。
〈裏店の木戸をくぐるとすぐのところに井戸があって、裏店の住人と見える女房たちが3人、とぎかけの米を中途にして寒空の下でおしゃべりをしていた。……自分の家よりは幾分ましに見えるその家の前に、又八郎は立ち止まった。ましと言っても、戸の隙間には内貼りをしてあるらしい紙が白く見える。〉
なるほど楽ではなさそうだな、と又八郎は思う。一人暮らしでも手狭なところに、8人もの人間が起き伏ししているのである。これでは細谷でなくとも、躍起になって働かなければならないだろう。では、当時の江戸暮らしには、家賃も含めていったいどれくらいの金が必要だったのだろうか。
江戸は地方に比べて、物価高である。国許を出るときに用意してきた金も底を尽きはじめ、又八郎も、そろそろ身過ぎの手段を講じなければならなかった。そんなとき大家に紹介されたのが、口入れ屋(有料の就職あっせん所)の吉蔵である。
「じつはそれがし、鳥越の寿松院裏にある嘉右衛門店に住まっている青江と申すものだが、手頃な職がないかと思って探しておる」
「青江さまは、剣のほうは相当おやりで?」
「自信はある。これは帳面につけておいてもらおう」
この自己PRが功を奏して、又八郎には剣にまつわる仕事が数多くまわされることになるのだが、その手間賃を少し挙げてみよう。
町娘のボディー・ガードが3日で1両、道場の剣術指南が3日で1分(0.25両、食事つき)、政府高官の護衛が1日に2分で食事つき。職人のなかでは一番割のいい大工の日当が2朱(0.125両)を少し下回るくらいだから、やはり用心棒には破格のギャラが支払われていたようだ。
1両で米が1石(2俵半=150kg)買えた当時、出費のかさむ江戸住まいとはいえ、これだけの収入があれば楽に暮らして行けたはずである。長屋の家賃は、又八郎の住むような最低ランクのところで、月に2朱(0.125両)前後。自炊を心がければ、そう懐寂しい思いをしなくても良さそうなものだが、事はそう簡単には運ばなかったらしい。
〈台所の隅の米びつをのぞく。ざっと二食。それも粥にして二食である。〉
なかなか、花のお江戸暮らしも楽ではない。
好むと好まざるとに関わらず、さまざまな事件に巻き込まれながら日々をしのいでいく又八郎だが、その瞳は決して暗くはなかった。軽い財布を心もとなく思いながら粥をすすっていると、ふと弱気にもなるが、裏店に住まう人々のあたたかさが、いつも又八郎を元気づけてくれるのだ。
浪人の身は辛い。さきのあても保証もなく、ただ自身の才覚だけを信じて世の中を渡っていくよりほかないからだ。だからみな国許への帰参や再仕官を夢見るのだが、長屋の暮らしにも、それなりの幸せはあっただろう。いや、長屋に生きる庶民の、庶民サイズの幸せを、なかば羨ましく眺めていた――というほうが当たっているかもしれない。
この作品は、全4巻のシリーズものになっている。青年〜壮年期の青江又八郎の活躍とともに、江戸時代の庶民の生活を覗いてみるのも楽しいだろう。
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