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ラ・マンチャの熱い風 『ドン・キホーテ』

 ハムレット、ファウスト、ドン・ファン、ドン・キホーテ。彼らをまとめて、「世界の4大主人公」という。名作を数え上げたらきりのないヨーロッパで、それらを代表する主人公4人のうち半分がスペイン出身だというのは、なかなか象徴的である。これを定めたのはスペインの思想家なので、多少割り引いて考えなければならないが、それでも「世界の4大主人公」にドン・キホーテの名前が入ることだけは間違いなさそうだ。
 スペイン人、そしてスペイン的なるものには、何か人々を引きつけてやまないものがあるらしい。言葉にするなら、それは情熱――だろうか。
 闘牛の昼下がりには赤く染まる、美女と太陽に満ちた土地・スペイン。
 彼の国が誇る老騎士のあとを追って、白い風車を見に行くとしよう。



〈スペインはラ・マンチャ地方のある村に、槍や古びた盾を部屋に飾り、やせ馬と足のはやい猟犬をそろえた、型どおりの紳士が住んでいた。……知っておいてもらいたいのは、この紳士が暇さえあれば貪るように騎士道物語を読みふけったあげく、ついには家や田畑を管理することもすっかり忘れてしまった、ということである。〉
 ドン・キホーテが耽読した「騎士道物語」というのは、日本で言えば先に紹介した『用心棒日月抄』のような剣客小説である。要するにチャンバラものだ。彼は暇にあかせてはチャンバラものを読み、近所の親父たちと「やっぱりあの騎士が1番強い」だの「ナントカの決闘シーンは最高だ!」などと盛り上がっていたのである。
 その楽しさはよくわかるが、ドン・キホーテは少々ヒートアップしすぎた。夢中になりすぎて分別を失い(原文によれば脳味噌がカラカラにひからびて)、とうとうみずから騎士と名乗って、国のため、正義のために立ち上がってしまったのである。
 愛馬はやせ馬ロシナンテ、従者はちょっと間抜けな百姓サンチョ・パンサ。近くの村に住むかわいい百姓娘を、騎士に必要不可欠な「思い姫」に仕立て上げ、ドン・キホーテは意気揚揚と冒険の旅に出発する。

〈「サンチョ、あそこを見るが良い。30かそこらの、ふらちな巨人どもが姿を現したではないか。我輩はやつらと一戦まじえて、残らず成敗してくれるぞ」
「しっかりしてくだせえよ、旦那さま。あそこに見えるのは、巨人なんかじゃねえ。ただの風車で、腕に見えるのはその羽根ですだよ。ほら、風に回されて石臼を動かす、あの風車ですだ」〉
 有名な、風車と対決するシーンである。ドン・キホーテは、騎士道に関係のないことについては極めて良識的で分別があるのだが、ひとたび冒険や正義が絡むとなると、風車が巨人に見え、羊の群れがにらみ合う2つの軍勢に見えてしまうのである。それほど、正義の騎士になりきっていたのだ。
〈「おまえにはあの馬のいななきや、ラッパの音や太鼓の響きが耳に入らぬのか」
「おらに聞こえるのは、やかましい羊の鳴き声だけですよ」
「おまえは怯えるあまり、ものごとを正しく判断することができなくなっておるのじゃ。そんなに怖いのなら、おぬしはどこかに退いて、我輩1人にまかせておくがよい」
「どうか引き返しておくんなさい! 旦那さまが攻めようとしているのは、神に誓って言うだが、羊でございますだよ!」〉
 こんな無謀な突撃をして、無事でいられるわけがない。ドン・キホーテは事あるごとに成敗すべき悪を見出しては戦いを挑むのだが、そのほとんどにおいて、無惨としか言いようのない大敗を喫した。さらに後半では、ドン・キホーテの活躍を「前編」で知った公爵夫妻(『ドン・キホーテ』は入れ子式の小説で、後編になると、作中の登場人物たちが「前編」を読んでいたり、ニセの後編が出回っていてドン・キホーテが憤慨したりする)に壮大ないたずらを仕掛けられたりと、まさに踏んだり蹴ったりなのである。
 最後に「銀月の騎士」との決闘に敗れたドン・キホーテは、郷里に戻り、死の床で長い夢から覚め、騎士道物語を否定しながら死んでいく。なるほどドン・キホーテは、こっけいである。だが、それだけではない。むしろ彼は純粋すぎるほど純粋な、スペインの熱血漢だったのである。

 当時のスペインは、「カトリックによる世界平定」という途方もない夢に翻弄され、無茶な戦争を繰り返したあげく、衰退しはじめていた。ドン・キホーテの生涯と、まったく同じである。そして作者セルバンテスもまた、祖国が巻き起こした戦に若い力を投じたものの報われることはなく、国が疲弊するのと同時に落ちぶれたという苦い経験をしてきたのだった。
 セルバンテスはみずからの人生とスペインの歴史を、ドン・キホーテに重ね合わせた。馬鹿なことばかりやっていたけど、あの頃の俺たちは熱かった。純粋だった――セルバンテスは、「ドン・キホーテ」で祖国とみずからの一生を辛辣に風刺する一方で、その嵐のような過去を慈しんでいたのかもしれない。

 さてドン・キホーテが巨人「ブリアレーオ」の長い腕と見まちがえたのは、丘に並び立つ巨大な風車の羽根だった。ラ・マンチャの人々は、風力で小麦の製粉を行っていたのである。「乾いた土地」という名前が示す通り、スペイン中央部に位置するラ・マンチャ地方は、大陸性気候で冬に少し雨が降る程度の、年間を通じて乾いた風が吹き抜ける土地である。ここに建つ風車小屋には、水でも風でも、利用できるものは何でも利用して行こうという人間のたくましさがうかがえる。もちろん製粉業者にとっては、風車は仕事場兼住まいだった。
 風車の歴史は古く、ローマ時代の技師の著作「気体装置」に、すでにその名を見せている。「風が吹くと鳴るオルガン」という機械楽器で、風車が風で回るとピストンが回り、オルガンに空気を送りこむという仕掛けだったらしい。のちに開発が進み、10世紀には、ここに出てくるような製粉機として利用されるようになった。950年頃に出されたペルシャの地理学者の著書には、「セイスタン州地方は常に強風が吹くので、風で回る製粉所が建てられた」と記されている。


 こうしたエネルギー獲得のための工夫は、やがて気候などの自然条件に左右されない、制御と調整が自在な大型動力を生み出した。それが18世紀に誕生した蒸気機関であり、そこからさまざまな新技術が生み出されて行ったのである。だがこうした技術やエネルギーの開発は、同時に地球の環境破壊を引き起こして、各地で問題となった。
 ここで注目されたのが、風車だった。ラ・マンチャに残る9基の風車は、今は観光用の別荘になってしまったが、この国の風車は単なる過去の遺物ではない。それどころか、スペインは世界屈指の風車大国なのである。
 風力発電は、再生可能エネルギーの中でも実用化と普及が最も期待されている技術のひとつで、すでに欧米を中心にして相当量の商業運転が行われている。地球温暖化防止の気運が高まり、90年代からの導入量が急増、現在、世界の総設備容量は1300万kwを超えているという。そのなかでスペインは最先端の風車技術を誇り、ドイツとアメリカに次ぐ、世界屈指の風力発電大国になっている。
 日本の総設備容量は約7万kwで、諸外国に比べればまだまだ少ないが、風力は新しいエネルギー源として無視できない存在である。新世紀の地球環境のためにも、風車はこれからも、大いに活躍していくことだろう。


文 倉林 章

参考文献
ドン・キホーテ 牛島信明 訳 岩波文庫
図説スペインの歴史 川成洋 河出書房新社
世界の歴史と文化「スペイン」 清水徹 ほか 新潮社